淳心学院の教育改革

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2014/09
佐久間彪神父追悼

 7月27日(日)東京教区の佐久間彪神父が帰天されました。86歳でした。私は佐久間神父のキリスト教入門講座に1年間通った後、1980年の復活祭に東京の世田谷教会で洗礼を受けました。ですから現在の私のキリスト教信仰の信仰内容に最も大きな影響を与えているのは佐久間神父です。この文章を読まれる方で佐久間神父をご存じの方はほとんどいないと思いますが、神父のキリスト教についての考え方を少し紹介させていただきます。私の手元には佐久間神父の教会での説教の内容を収めた本が2冊あります。1冊は世田谷教会が編集して1993年に発行した『神 ひと 宇宙』ともう1冊はオリエンス宗教研究所が2009年に発行した『神への憧れ』です。主に前者の方からいくつかの文章を抜粋します。神の働きについて。「主イエスは“目覚めていなさい”と仰せになりました。とは言え、もし神ご自身が目覚めさせてくださるのでなければ、どうして目覚めていることができましょう。すべては神の恵みだからです。神が働かれるのでなければ私たちは何もできないのです。天地創造の瞬間に神が“光あれ”と仰せになったとき、初めて光があったのでした。爾来、一瞬ごとに神は働いておられます。私たちは神に先立って働くことはできず、また、誰が神とその業を競いあうことができるでしょう。神は、常に、一瞬一瞬、私たちに先立って働いておられるのです。神が働きたもう、それゆえに私たちは存在しています。神が働きたもう、それゆえに私たちは生きています。神が働きたもう、それゆえに私たちは愛しています。神が働きたもう、それゆえに私たちは信ずることができます。神が働きたもう、それゆえに私たちは神に賛美と感謝を捧げることができます。そして、神が働きたもう、それゆえに私たちは神と化されていきます。主イエスが“目覚めていなさい”と仰せになるとき、この言葉はむしろ、主イエスがいつも私たちと共にあり、私たちのために、まずご自身が目覚めておられるということの、約束の言葉なのです。」祈りについて。「回心とは、何か道徳的な意味での、心を改める改心というよりは、内なる世界に心を回らし、神における生命の循環に気づき、目覚めることではないでしょうか。主イエスは私たちに、この神秘に気づけ、それに目覚めよ、そう言っておられるのではないでしょうか。イエスは私たちに空の鳥、野のゆりを指し示しつつ、神なる父の慈しみを教えられました。私たちが模範としなければならないのは、この自然界、神の御旨のままに生かされている、あの動物たち植物たちなのかもしれません。それゆえに、復活節も終りに近いきょうこの頃、もう一度私たちが神の内に生かされているということを自覚して、深い魂の平安を得たいと思います。もちろん私たちはこの世にあって働かなければなりません。そして、神に、助け、支えを求めなければなりませんが、しかし同時に、そのような煩わしさのすべてから折りおりに解放されて、深い沈黙、平安のうちに、神と一つであることを自覚してすごす時を持つべきでありましょう。それをこそわれわれは“祈り”とよぶのではないでしょうか。」信仰について。「イエスのお考えによれば、私たちの心に書き記された新約の律法、すなわち新しい“生活の原理”とは“愛”であって、人間は愛をもって行動するときに、つまり愛しているときに、実は自分の内にそのような原理が、深く深く刻み込まれていると気づき、まさに愛しているときにこそ、人間は本当に人間らしいのであり、その愛の原動力は神なのであって、人間はみなこの愛である神によって生かされているからこそ、愛することが出来るのだ、と気づくのです。宗教というものは本来自然なものなのです。そしてイエス・キリストほど自然に生きておられた方はありません。イエス・キリストの一挙手一投足に不自然なものはなかった。イエスの愛は不自然ではなかった。無理に愛そうとしておられたのではない。私たちもイエスにならって、本当に自然に愛して生きていきたい。そう心から念ずるのであり、そして、宗教というものは私たちに義務を負わせるものではなく、むしろ生き、愛することの喜びを伝えるものだと悟るべきなのです。信仰とはこの事実に気づくことではないでしょうか。」生き方について。「神の恵みというものは、人々が期待している形で与えられるものではありません。神はある時、ある人に、愛する力をお与えになります。しかし、ある人にはまだお与えにならない。ひとは、ある時は愛せますが、ある時は愛せません。あの人がひとを愛したからといって、この自分がひとを愛せるかといえば、そうは言えないのです。したがって私たちの目の前には、いわゆる模範はありません。あの人が愛したから私も愛せるはずだ、とは言えないのです。愛は神の恵みだからです。当然のことながら、逆に、私が愛せたからあの人も愛せるはずだ、ということもないのです。そして同じ人間が、きのうは愛せても、きょうは愛せないこともある。きょうは愛せなくても明日は愛せる、そういうこともあるのです。私たちは神が与えたもう恵みのままに生きるのであって、その意味では、一瞬一瞬を生きることだけが重要だと思われます。伝統的にカトリックの哲学ではラテン語で“ヒック・エト・ヌンク”と申します。ヒック(ここで)、エト(そして)、ヌンク(いま)。私たちにとって大事なことは、“ここで、今(ヒック・エト・ヌンク)”あるがままに生きていくということなのです。なればこそ、私たちは希望を持ち得ますし、また驕り高ぶることもなく生きることができます。愛せたならば感謝し、愛せないならば恵みを願う、それ以外に私たちの選ぶべき道はないのです。私たちは、日々新たな瞬間を受けるのであり、その一瞬一瞬をこそ、神に委ねて生きるのです。」

  これらの文章を読んでおわかりのように、佐久間神父は心から子供のように神の愛と恵みに信頼し委ねられた方でした。最後に神父がたびたび引用された聖書の箇所を記しておきます。「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように。アーメン。」(パウロのローマ人への手紙11・36)

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