淳心学院の教育改革

淳心学院の教育改革

2014/10
ベルギー、オランダ訪問記

  今年の夏は、お盆の一週間家内とベルギー、オランダを旅行しました。ベルギーを訪れるのは2度目ですが、今回の訪問の目的は以前、姫路教会の主任神父と淳心会の管区長を務められて私が大変お世話になった、ヴァンガンスベルゲ神父を訪ねることでした。神父様は現在ベルギーのコルトレイクという所にある淳心会の高齢者施設に入られていて、88歳で耳が少し聞こえにくくなられていましたがお元気でした。ベルギーではそれからマルゴット理事長の出身地であるブリュージュに行きました。ブリュージュは街全体が運河に囲まれている美しい街です。古い教会、広場、鐘楼などと運河がマッチした美しい街並みを多くの観光客が歩いていました。特に印象に残ったのはメムリンクの美術館です。メムリンクは15世紀にブリュージュで活躍した画家で、深い信仰に基づいた神秘的で静謐な絵が特徴です。代表作とされる「聖女カタリナの神秘の結婚」「聖女ウルスラの聖遺物箱」はとても素晴らしい作品でした。天候に恵まれて、午後訪れたベギン会修道院の聖堂、木立、運河などの周辺の風景は天上的な雰囲気でした。

  オランダは私は初めてでしたが、アムステルダム、デンハーグ、デルフトを訪れました。オランダに行った大きな目的は絵画を見ること、特にフェルメールとロイスダールの絵を見ることでした。17世紀に黄金時代を迎えたオランダの絵画は、それまでの中世やイタリアルネサンスでつねに題材とされていたキリスト教やギリシア・ローマの神話に代わって、当時の市民の日常の生活やオランダの普通の風景を題材にしたことで知られています。それは絵画の注文主がそれまでの教会や王侯貴族に代わって、経済的に裕福になったオランダの市民であったからといわれています。現在、世界的に人気のでているフェルメールの現存する30数枚の絵は、2枚の風景画以外ほとんどが室内における当時の人の人物画となっています。風景画家として有名なロイスダールの絵は画面の下3分の1ぐらいの所に水平線や地平線が描かれ、上3分の2が空で複雑な雲と空がおりなす風景が描かれるというのが特徴で、国土の低平なオランダの風:景をよく表しています。アムステルダムの国立美術館はとても大きな美術館ですが、3階の正面の通路の奥にレンブラントの「夜景」が展示され、通路の左側にフェルメールの4枚の絵、右側にロイスダールの代表作「風車」などがありました。フェルメールの絵の前はすごい人だかりで人気の様子がよくわかりました。デンハーグのマウリッツハイス美術館は、貴族の城館を利用した華麗な美術館で、最後の部屋に私が今回一番見たかったフェルメールの「デルフト眺望」の大きな絵と、一昨年神戸でも見ることができた「真珠の耳飾りの少女」が向かい合わせに展示してあって、私は少女の輝かしい瞳に再び再会することができました。デルフトの街もブリュージュと同じように運河に囲まれた美しい小さな街で、フェルメールがこの街で生まれて生涯ほとんどこの街から出なかったということで、フェルメールの絵の雰囲気を味わうためにたくさんの観光客が訪れていました。デルフト焼も有名ですが、現在フェルメールはデルフトの大変な観光資源だと思います。街を歩くと旧教会には彼の墓があり、生家跡は「フェルメールセンター」となっていて彼の現存する30数枚のすべての絵の複製を見るこができます。運河沿いに歩いて水門までいくと、運河を隔ててデルフトの街が眺められ「デルフト眺望」の絵に描かれている新教会の塔も遠望することができて、絵の雰囲気を十分に感じることができました。

   オランダは日本とは浅からぬ関係があった国です。江戸時代、徳川幕府が鎖国をしていた時に西欧の国で唯一交流があった国がオランダでした。長崎の出島にオランダ東インド会社の商館があって貿易をしていました。さらに商館長が江戸にやってきて将軍に謁見する江戸参府が江戸時代計167回も行われたということです。その時オランダが提出したいわゆる「オランダ風説書」が、幕府が西欧人から国際情勢についての情報を得る唯一の機会でした。また8代将軍吉宗は参府の商館長(カピタン)と直接面談し、政治体制・地理・軍事技術など広範囲に質問をしたようです。ですから江戸時代に国際情勢や科学技術など西欧の学問について知ろうとすれば、オランダ語を勉強しなければなりませんでした。当時の知識人たちは、江戸参府の時のオランダ人たちの定宿だった日本橋の長崎屋を訪問して交流をもったようです。こうした蘭学者で有名なのが新井白石や青木昆陽です。小塚原での囚人の死体解剖を見てオランダの医学書「ターヘル・アナトミア」の記述の正確さに驚いた前野良沢と杉田玄白らが苦労して同書を翻訳し、初めてのオランダ語書籍の翻訳書として「解体新書」を出版したのは有名です。幕末に幕府が海軍を創設した時に指導をしたのはオランダ海軍の軍人ですし、福沢諭吉が最初に創設した塾(後の慶應義塾)は蘭学塾でした。こうしてみると江戸時代オランダは日本と西欧とを結ぶ窓の役割を果たしたことがわかります。旅行中、家内の教え子でオランダで音楽を勉強しオランダ人と結婚した女性と話す機会があったのですが、良くも悪くもオランダ人は現実的で実際的な民族です、と言っていました。確かに世界で最初に安楽死を合法化したのはオランダです。それやこれやを考えながら、今回の旅行はなかなか感慨深い旅行でした。

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