淳心学院の教育改革

淳心学院の教育改革

2014/11
長崎平和研修旅行

 10月1日から3日までM3の生徒と一緒に長崎平和研修旅行に行ってきました。この平和研修は私が淳心に赴任するとすぐに開始され、一昨年まで30年以上広島で実施してきました。私はM3の現代社会(公民)の授業を担当していた関係でこの旅行の付き添いで行くことが多く、10回以上行っていると思います。この広島平和研修では最初はすでに故人となられている広島学院の西尾先生にコーディネートと付き添いをお願いし、西尾先生が退職されてからは広島教区神父の長谷川儀神父に被爆体験のお話と付き添いをお願いしてきました。そうしたことで淳心の広島平和研修はこのお二人の方に大変お世話になってきました。実施時期は7月下旬の非常に暑い時期で生徒たちにとってはきつい研修だったと思いますが、8月6日に被爆された被爆者の方々の苦しみを追体験するという意味もありました。この長く続いた広島研修を長崎に変更した理由は、被爆体験を語ってくださった長谷川神父が亡くなられたこと、明石などの地域で小学校の時にまったく同じプログラムを経験している生徒達がいること、さらに熱中症の危険性を考えなければならなくなったことなどがあります。

 さて長崎ではまず浦上天主堂(浦上教会)に行きました。浦上教会はカトリック信者の多い長崎でも特に信者の多いことで知られている長崎市北部の浦上地区にある教会で信者数約7000人といわれ、建物の規模、信者数共に日本のカトリック教会の中で最大規模の教会です。また長崎大司教が所属している教会で司教座聖堂(カテドラル)ともよばれます。私たちはここでこの教会の長老の信者である深堀繁美氏の話を聞きました。深堀氏は浦上地区の歴史から話し始め、16世紀にフランシスコ・ザビエルによって日本にキリスト教が伝えられてから、この浦上でもキリスト教が広まり、キリシタンの集落になっていったことを話されました。徳川幕府になってからキリシタンに対する迫害、殉教がひどくなり、表向きキリスト教の信者を名乗ることはできなくなりました。そして毎年正月に庄屋の屋敷に集落の人たちが集められ、いわゆる「踏み絵」がおこなわれました。そしてこの浦上教会はその庄屋の屋敷跡に建てられているそうです。1864年、日仏修好通商条約に基づき、居留するフランス人のため長崎の南山手地区に大浦天主堂が建てられました。1865年3月17日、浦上地区の信者数名が教会を訪れ、女性信徒がプチジャン神父に私たちの信仰はあなたと同じキリスト教ですと告白しました。これが世界中に驚きをもって伝えられた「長崎の信徒発見」です。来年2015年は信徒発見から150年の記念すべき年になります。しかしこれによってただちに信仰が保証されたわけではありませんでした。明治政府は浦上地区の信者達を捕縛し、津和野、萩、福山など日本の各所に流罪としました。これが浦上四番崩れと呼ばれている迫害です。この流罪は1868年からキリスト教の信仰が認められた1873年まで続きました。流罪になった人たちの扱いは場所によって違いますが拷問など過酷な扱いを受けた所もありました。流罪にされた人たちは全部で約3000人、そのうち流罪中に亡くなった人は約600人といわれています。さて深堀氏は被爆した時中学3年でした。小神学校に通っていて8月9日は勤労動員で工場で働いていたそうです。工場で被爆したあと、自宅のある浦上地区に戻ると地区は壊滅状態で、自宅はつぶれお父上以外の家族は皆亡くなったそうです。深堀氏は話の最後に平和の大切さを強調され、生徒たちが平和のために働いてくれることを期待されました。私たちはアシジの聖フランシスコの「平和の祈り」を皆で唱え、小聖堂にある被爆したマリア像に拝礼して教会を後にしました。

 教会を出た後、長崎さるくのガイドの方々に案内していただいて、12のグループに分かれて班別学習をしました。1グループ約10人です。行き先はもちろんグループによって異なりますが、だいたい共通していたのが浦上教会の崖下の原爆によって吹き飛ばされた教会の鐘のある所(鐘楼ドーム)、毎年8月9日に平和記念式典の行われる彫刻家北村西望が制作した有名な平和祈念像のある平和公園、さらに爆心地の公園などを案内していただきました。それから長崎平和資料館を全員で見学しました。平和資料館の中は「1945年8月9日」「原爆による被害の実相」「核兵器のない世界を目指して」といったセクションに分かれていてそれぞれ展示がしてあります。広島の平和資料館と比べると、被爆直後の写真が多いので(街角の黒焦げの遺体やケロイドの写真など)惨状がより強く印象づけられるような気がします。

 2日目の午前中、日本26聖人記念館を訪問しました。26聖人とは、豊臣秀吉の禁教令により京都、大阪で捕縛された9名の神父と15名の信徒さらに長崎までの途中に自ら加わった2名の信徒のことで、彼らは1597年1月から2月にかけて京都、大阪から長崎まで歩かされ、2月5日に長崎の西坂で磔の刑に処せられ、日本で最初のキリシタン殉教者となった人々です。後にカトリック教会によって聖人とされました。私たちは処刑跡地にある26人のレリーフの前で記念館長のレンゾ神父の話を聞きました。神父は話のなかで26聖人について考えてもらいたいこととして2つのことをあげました。1つは身分も異なり、お互い知らない人もいた1つの集団が京都から長崎までの行程でお互い助け合い、殉教を目指す1つの仲間になっていったこと、もう1つは処刑前に神父であるパウロ三木が処刑する役人たちに「私たちはあなたがたを許します」と言ったということです。自分を殺す者たちを許すという姿勢は、後のキリシタンの殉教でも貫かれて幕府の役人たちにも感銘を与えたということです。憎しみや対立に対して「許す」ということをしないと結局平和はもたらされないということで、これは現代にも通用するキリスト教の大事な考え方だと思います。話の後記念館を見学しましたが、記念館にはフランシスコ・ザビエルの直筆の手紙や天正遣欧使節の一人で後に神父となり殉教した中浦ジュリアンの直筆のポルトガル語の手紙など貴重な資料が展示してありました。この後、国宝の大浦天主堂を見学して平和研修は終わりました。長崎は日本のカトリック教会にとって聖地です。平和研修と共に日本のカトリック教会の魂に触れることができて有意義な旅行でした。

学校案内
中学入試について
淳心教育の特色
進路
学校生活
学校法人淳心学院中学校・高等学校
〒670-0012 兵庫県姫路市本町68 TEL:079-222-3581 FAX:079-222-3587

デジタルパンフレット