淳心学院の教育改革

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2016/05
ユリウス・カエサル

  2月に下見でイタリアに行き、ローマでフォロロマーノを再訪したのをきっかけにローマ帝国の話が読みたくなり、塩野七生さんのローマ人の物語の「ユリウス・カエサル」を読みました。ユリウス・カエサルは(ジュリアス・シーザーという呼び名の方が有名かもしれませんが)それまで共和制だったローマの政体を帝政に変革しようと努力したローマ史上最大の政治家の一人です。塩野さんはそれなりに人物評は辛口ですが、カエサルについてはかなりの尊敬と共感をもって描いているように思えます。イタリアの高校の歴史の教科書には「指導者に求められる資質は、次の5つである。知性。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。カエサルだけが、このすべてを持っていた。」と書いてあるそうです。

  カエサル、正確にはガイウス・ユリウス・カエサルはユリウス一門という古くまで遡れる名門貴族に連なるが、特別裕福でない家に姉と妹に挟まれた一人息子として生まれ、母親の愛情を一身に受けて育ったようです。「生涯を通じて彼を特徴づけたことの一つは絶望的な状態になっても機嫌の良さを失わなかった点であった。楽天的でいられたのも、ゆるぎない自信があったからだ。そして、男にとって最初に自負心をもたせてくれるのは、母親が彼にそそぐ愛情である。幼時に母の愛情に恵まれて育てば、人は自然に、自信に裏打ちされたバランス感覚も会得する。」と塩野さんは書いています。カエサルの母親アウレリアは学者一家の出身で教養の高い女性として有名でした。当時上流階級の家では子女の教育にギリシア語のできる家庭教師をつけるのが普通で、彼女もカエサルにギリシア語と完璧なラテン語のできるガリア人の家庭教師をつけ、この2つの言語をきちんと習得させたのでした。カエサルの青年時代、ローマの政治は「民衆派」のマリウスと「元老院派」のスッラという2人の将軍による軍事的抗争がおこなわれていて、互いにローマを制圧すると反対派を処刑するという凄惨さであったが、カエサルにとってマリウスは伯父にあたる存在でした。カエサルは16歳で父を亡くして家長となり、同じ年民衆派の執政官(ローマの最高官職)キンナの娘コルネリアと結婚することによって民衆派の立場を鮮明にしました。ところが2年後、小アジアにいたスッラがローマに帰還し民衆派に対する大規模な処刑が始まりました。カエサルもあやうく処刑されそうになり、キンナの娘との離婚を条件に助命されますが、カエサルは離婚を拒否します。もちろんそのままでは命が危ないので彼は小アジア(今のトルコ)に逃げ、そこで現地のローマ軍に志願します。4年後スッラが死去して22歳のカエサルはローマに帰国します。家では娘ユリアが生まれていました。カエサルはローマで弁護士を開業しますがあまりうまくいかず、ロードス島に留学したりして彼は20代に巨額の借金をつくります。借金の内訳は主に本、おしゃれ、女性関係だったようです。30歳でカエサルは会計検査官に選ばれ政治への道をスタートさせます。37歳で宗教儀式を司る祭司や神祇官のトップである最高神祇官に当選し、この職は終身職であったので彼はフォロロマーノに面した最高神祇官の公邸に暗殺されるまで居住することになりました。40歳にしてカエサルはローマの最高官職である執政官(コンスル)に当選し、同時に元老院の影響力を排除するためにスッラのかつての部下で軍事的実力者のポンペイウス、経済界の代表でカエサルの債権者であるクラッススと手を結んで「三頭政治」を開始しました。ポンペイウスには娘のユリアを嫁がせています。カエサルは執政官に就任すると70年前に護民官のグラックス兄弟を死に追いやった「農地法」を成立させました。この法律は農地改革を目的とした法案で国有地の借用に上限を設け、上限以上に借用している者には土地を返還させ、返還させた土地は兵役を終えた者や無産者に再配分するというものです。カエサルは抵抗の強い元老院の採決をパスし、全員参加の市民集会でこの法律を成立させました。

  1年間の執政官の任期を終えたカエサルは属州総督としてガリアに赴任します。この属州としてのガリアの範囲はだいたい現在のフィレンツェ以北の北イタリア(この地域はまだローマ直轄l領でなかった)とマルセイユを中心とした南フランスでした。任期は5年間。この任期中、彼はローマ軍団を率いてガリア人との戦闘に終始しガリアの平定に力を尽くすことになります。このガリア人との戦闘の記録が有名な『ガリア戦記』です。カエサルがガリアと呼んだ地域は現在のライン川以西の西ヨーロッパにあたります。もう少し詳しく戦闘地域を見てみると、1年目は東部フランス、2年目ベルギー、3年目西部フランス、4年目はライン川を渡河したドイツとドーヴァー海峡を渡ったイギリス、5年目は再度イギリスと北フランス、6年目はベルギーとドイツと北フランス、7年目はヴェルチンジェトリクスという指導者の下に結束して総決起したガリア人との中部フランスのアレシアでの決戦となります。カエサルはアレシアでの決戦に勝利してガリアを平定しました。以後ガリアはローマ化され、ローマに対する反乱は起きなくなります。この間三頭の一人クラッススは中東のパルティアで戦死していたので、元老院派はポンペイウスを味方にしてカエサルに対抗しようとします。50歳のカエサルは軍事的対決を決意し軍団を率いてローマと北イタリア属州の境界のルビコン川を渡りました。「賽は投げられた。」です。カエサル軍の南下にともないポンペイウスと元老院派の人々はイタリアを捨ててギリシアに渡ります。翌年ギリシアのファルサルスで決戦がおこなわれ、カエサルが勝利しポンペイウスはエジプトに逃れてそこで殺されます。エジプトにポンペイウスを追っていったカエサルはそこで姉と弟の王位争いに巻き込まれ、姉のクレオパトラを王位につけます。そして有名なクレオパトラとのロマンスが生まれます。さらに北アフリカとスペインの元老院派の残党を制圧し、ローマに凱旋して独裁官に就任し帝政化をめざして矢継ぎ早に改革を実施します。そして反対派の反乱がすべて制圧されてからわずか1年後の3月15日、カエサルは元老院で暗殺されました。55歳でした。カエサルは共和制のローマの統治形態に固執する元老院派の人々に対して、領土が飛躍的に拡大したローマの統治形態として多民族総合国家としての帝政を目指し実現直前に倒れたわけですが、この統治形態は彼の後継者によって実現されました。

  なお、ヘンデルのオペラ『ジューリオ・チェーザレ』(ジューリオ・チェーザレはユリウス・カエサルのイタリアb語読み)はユリウス・カエサルを主人公としたヘンデルのオペラの最高傑作の一つです。

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