淳心学院の教育改革

淳心学院の教育改革

2018/02
日本26聖人

 2月5日は日本26聖人が長崎西坂の丘で処刑された日で、カトリック教会では殉教を記念する特別な日となっています。26聖人が処刑されたのは1597年2月5日です。処刑を命じたのは豊臣秀吉で、彼は1587年にキリスト教禁教令を出していましたが南蛮貿易の利益のため、この事件が起こるまでは布教を黙認していました。彼がキリスト教禁教令を出した理由はキリシタンの(大名も含めた)信仰の強さと結束力の強さ、それに権力者への姿勢に警戒感を抱いたからといわれています。しかし1596年にサン・フェリペ号事件が起きて、キリスト教宣教師とスペイン王権との結びつきと植民地獲得の関係が指摘され、彼は関西のキリスト教関係者の逮捕と処刑を命じます。これによって京都のフランシスコ会関係の21人と大阪のイエズス会関係の3人が捕えられます。内訳はスペイン人が4人、ポルトガル人が1人、メキシコ人が1人(彼らは全員聖職者)と日本人が18人でした。彼らは長崎で処刑されることになり、全員片方の耳を切られた後、1597年1月10日に大阪を出発し、歩いて長崎に向かいました。この行程の中で彼らの世話をしていた日本人2人も同時に処刑される事になり、処刑されるのは26人になります。寒い時期ですから楽な行程ではなかったと思いますが、彼らには強い仲間意識ができたといわれています。私は正確な行程を知りませんが、当然姫路も通過していったと思われます。長崎に到着すると処刑を執行する奉行は最年少の12歳のルドビコ茨木を不憫に思い、信仰を捨てれば助命すると言いますが、拒絶されます。イエズス会の伝道師だったパウロ三木は処刑の前に、キリスト教の教義に従い、処刑を命じた人と処刑に関わった人を許しますと言ったと伝えられています。彼らはこれ以降殉教していく数万人のキリスト教の神父や信徒たちの最初の殉教者となりました。彼らの殉教は日本にいる外国人宣教師の記録によって西欧に伝えられ、西欧はキリスト教社会でキリスト教を信仰しているという理由での殉教は存在しないので、彼らの殉教は有名になりました。彼らは19世紀に教皇によって列聖され、カトリック教会では聖人とされています。またイタリアには彼らに捧げられた教会があり、教会の中には彼らの絵が飾られているそうです。

 淳心では毎年M3の長崎平和研修で西坂の日本26聖人記念館を訪れ、処刑場となった広場のレリーフの前で館員の方の説明を聞き館内を見学します。館内にはフランシスコ・ザビエルの直筆の手紙や、天正遣欧使節の一人で後に殉教した中浦ジュリアンのポルトガル語の手紙など貴重な資料が展示してあり、生徒たちも感銘を受けるようです。26聖人から私たちが学ぶべき事は自分の命をも捧げる信仰の確信の強さと仲間としての団結、そして何よりも敵をも許す許しの考え方でしょう。難しいことですが、争いのある相手に対し許し合いの気持ちがないと本当の意味での平和は来ないと思います。記念の月に彼らに想いを馳せたいと思います。

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