淳心学院の教育改革

淳心学院の教育改革

2018/07
6月のできごと

 現代史では6月に戦争と平和に関係するできごとがいくつか起こっています。まず1960年6月15日、この日は国民的に安保反対闘争が盛り上がる中、全学連の学生が国会構内に突入して警官隊と衝突し東大生の樺美智子さんが死亡した日です。この年、時の岸信介内閣はそれまでの安保条約に代わる新しい安保条約を野党の反対を押し切って採決し、安保条約の成立を待って国政の混乱の責任をとって総辞職しました。岸信介氏は言うまでもなく安倍首相の母方の祖父です。そして岸信介氏も筋金入りの改憲論者でした。安倍首相の強い改憲意欲がこうした血縁と山口出身(明治維新を起こした長州)という地縁に大きく影響されていることは間違いありません。そしてこの時に成立した安保条約が今でも日米の間で有効なのですが、アメリカの日本の安全保障についての関与と日本における米軍の駐留を規定していて、戦後の日本の安全保障についての根幹をなす条約です。この条約については沖縄の基地問題を含めて今でもいろいろ議論にはなっているのですが、安保反対運動は1960年代のような盛り上がりはありません。亡くなった樺さんがもし存命であれば80歳になるという事実にいささかの感慨を覚えます。

 次は1945年6月23日、この日は現在沖縄慰霊の日となっていますが、日本軍の牛島軍司令官が自決して沖縄戦における日本軍の組織的抵抗が終わった日とされています。沖縄戦は1945年の3月から始まっていましたが、4月1日にアメリカ軍が沖縄本島中部の現在の嘉手納基地周辺に上陸してきて本格化しました。南下してくるアメリカ軍と首里城の地下に司令部を置く日本軍との間に激戦が行われましたが、5月末には首里城が陥落し、司令部は本島南端の摩文仁に置かれましたが6月23日に日本軍がほぼ全滅して終了しました。沖縄戦の犠牲者は双方で約20万、そのうち米軍が約2万、日本側が約18万ですが日本側はその半数が沖縄の民間人です。特に民間人の犠牲者は首里城が陥落した後、戦場が首里以南の南部になったため南部に避難していた民間人の犠牲が増えたと言われています。沖縄では県民の4人に1人が犠牲になりました。沖縄はこの後アメリカに占領され、軍政が敷かれました。日本本土も戦争に負けて1945年から1952年までアメリカの占領下におかれたのですが、1952年に日本が主権を回復した後も沖縄はアメリカの施政権下におかれます。沖縄が日本に返還されたのはようやく1972年のことです。その時、核抜き基地は本土並みといわれたのですが、現実はそうなりませんでした。現在日本にはアメリカ軍が約45000人駐留しているのですが、その半分が沖縄にいます。そして米軍基地の面積の70%が沖縄に存在し、それは沖縄の面積の20%を占めています。アメリカ軍の基地負担が沖縄に過重にかかっていることは明らかです。沖縄の人は基地問題についての本土の人間の無関心を批判します。普天間基地に代わる辺野古の基地建設の埋め立てがこれから始まります。私たちはせめて沖縄の基地問題に関心だけはもち続けたいものです。

 3番目は1950年の6月25日、朝鮮戦争が始まった日です。戦後朝鮮半島では南北が対峙していましたがこの日、北朝鮮軍が突如38度線を越えて南に侵攻を開始したのです。この時の北側の指導者は金正恩委員長の祖父の金日成氏でした。戦争は最初北側が優勢でしたが、当時日本にいたマッカーサーを司令官とするアメリカ軍を中心とした国連軍が仁川に上陸すると形勢は逆転し、国連軍は中国国境に迫りますが、今度は中国軍が介入してきて戦線は38度線まで押し戻されて膠着状態になります。その間約1年間ですが、戦争はこの後1953年に休戦協定が結ばれ休戦となります。つまり朝鮮戦争は開始から68年経つ現在まで終結していないのです。先日おこなわれたアメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長との会談であるいは朝鮮戦争の終結宣言が出されるかと言われましたがそれはありませんでした。とにかくこうしてみてみると歴史的な出来事というのはいろいろな形で相互に関連していることがわかります。戦争に関係することが多かった6月ですが、これから平和に関係することが起きる月になることを期待したいと思います。

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